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第57師団 (日本軍) : ウィキペディア日本語版 | 第57師団 (日本軍)[だいごじゅうななしだん]
第57師団(だいごじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。第8師団が満州に永久駐屯することになったため、留守第8師団を常設師団に改編したもの〔1940年(昭和15年)8月から常設師団のうちの8個師団が満州に永久駐屯することになり、代替の常設師団として同年7月10日に第51師団・ 第52師団・第54師団・第55師団・第56師団・第57師団の計6個師団がそれぞれ留守師団を基幹に編成された。なお翌年の1941年(昭和16年)9月16日に第53師団が留守第16師団を基幹に編成されたが、第1師団分については除かれた(第1師団の管区は近衛師団が引き継いだ)。〕。 ==沿革== 第57師団は、1940年(昭和15年)7月10日に青森・岩手・秋田・山形の四県を徴兵区とする常設師団として、留守第8師団を基幹に弘前で編成された。なお、管轄区域は1941年(昭和16年)から弘前師管区に改称、1945年(昭和20年)には補充任務等の管轄区域の軍政を担当する留守師団司令部は独立し弘前師管区司令部となった。 師団は編成後天皇の直属隷下にあったが、1940年(昭和15年)12月に北部軍の編成にともない同軍の隷下に編入された。昭和16年(1941年)には関東軍特種演習参加のため満州へ派遣、当初第3軍に、その後第4軍に編入され黒河省神武屯に駐屯していた。以後、当地で黒竜江沿岸一帯の国境陣地警備と対ソ戦の訓練に従事していたが、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)に本土決戦に備え九州に移動し第16方面軍戦闘序列に編入され、連合国軍の九州上陸に備えていた。しかし、連合国軍の九州上陸は無く交戦することなしに終戦を迎えた。
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